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四万十市(旧中村)が生んだ偉人
​幡多の勤王志士「樋口真吉」(1815~1870)は幕末・維新の動乱期だけではなく、その胎動期も見た。小姓町に道場を開き、剣・砲術で延べ700名余りの門弟を育てる。

​幕末動乱期、中岡慎太郎や西郷隆盛と会談を重ね歴史の局面を目撃し、日記に記録。中村に初めての文武館(学校)を創設する。明治新政府では明治天皇侍従長の公設秘書官に選ばれ奉職する。

見出

会の目的

①四万十市出身の幕末・明治維新期の功労者の一人である「樋口真吉」の新時代を拓いた足跡と生き方を学び、顕彰していく。

②これまで埋もれていた郷土の歴史上の人物や伝統文化を発掘し、磨き上げを行い観光資源としての活用を図り地域の経済効果向上に繋げる。

③身近な地域の人物像や伝統文化に触れる事により、郷土への愛着と誇りを育み人生のあり方を学ぶ契機となる等、教育的効果の推進を図る。

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坂本龍馬が樋口真吉に書いた最後の手紙

龍馬の最後の手紙とは、こんな内容でした。

「拝啓。寓居を京で探してみましたが、いい所が見つかりません。

昨夜は薩摩の吉井幸輔から伝言があり、『土佐藩邸に入れないようだが、それなら薩摩藩邸に入ってはどうか』といいます。しかし、脱藩の過去がある私は土佐藩邸には入れません。かといって薩摩の世話になるのも不自由だし、

土佐藩に対しても『いやみ』となるでしょう。襲われた時は仲間とともに戦ったうえで土佐藩邸に入ろうと決心しています。また、清平様は昨日も私の宿を探してくれていましたが、土佐藩邸近くの寺か松山藩の別屋敷を樋口真吉に斡旋してもらえるならば、たいへん幸せです。

この件は、あなたのみに申し上げることですから、私の事情を樋口真吉や他の藩邸内の面々にお伝えくだされば、なおありがたいことです。よろしく」この手紙の中で龍馬は、土佐藩同志・望月清平に対して「樋口真吉に頼んで新しい隠れ家を探してほしい」と依頼していたのでした。